リーンシックスシグマが提唱される前の時代に品質管理の基礎を築いた偉人達について調べる機会が最近ありました。備忘録としてそのリンクを貼り付けておきます。改めて偉人達の品質管理への貢献を調べてみると、当時とは時代も環境も大きく変わったとは言え、現代に生きる我らエンジニアは、まだまだ多くのことを偉人達から学ばなければならないと思い知らされます。
特に品質に対する信頼性が揺らいでいるかつての技術立国・日本にはそれが当てはまるのではないでしょうか。
- かつての日本はなぜ高い品質を維持することができたのか、
- 今の日本はなぜ品質に問題が生じてきているのか、
その答えみたいなものが、偉人達が提唱した品質の考え方から読み取れるような気がします。
- ウォルター・シューハート(Walter A. Shewhart: 1891 – 1967)「統計的品質管理の父」管理図の基本と統計的管理状態の概念を生み出す。
- エドワーズ・デミング(W. Edwards Deming: 1900 – 1993)日本の企業経営者に、設計/製品品質/製品検査/販売などを強化する方法を伝授する。
- ジョセフ・ジュラン(Joseph M. Juran: 1904 – 2008)統計による品質管理、設計による品質管理、総合的品質管理(TQM: Total Quality Management)の第一人者。
- フィリップ・クロスビー(Philip B. Crosby: 1926 – 2001)「欠陥ゼロ」のコンセプトを提唱する。著作「クオリティ・マネジメント―よい品質をタダで手に入れる法」などで知られる。
- アマンド・ファイゲンバウム(Armand V. Feigenbaum: 1922 – 2014)全社的品質管理(TQC: Total Quality Control)を提唱する。
- 石川 馨(Kaoru Ishikawa: 1915 – 1989)日本の品質管理の父と賞され、QCサークル活動の生みの親。
- 田口 玄一(Genichi Taguchi: 1924 – 2012)開発・設計工程に品質管理手法を取り入れるタグチメソッドを提唱する。
- ドリアン シャイニン(Dorian Shainin: 1914 – 2000)実験計画法の元にもなった製造現場の問題解決法として知られる「シャイニン技法」を提唱する。
中でも日本では、日本の復興のために第二次大戦後、品質と生産性の向上のために力を尽くしてくれたデミング博士が最も有名だと思います。その証拠に半世紀以上たった今でも、品質向上に貢献した企業や人にはデミング賞が与えられるほどです。
デミング博士の予言
日本の製品がまだ安物(安かろう悪かろう)だった時代、デミング博士はこんな予言をしました。
- 日本製品の品質は今は最低でも、そのうち世界で最高のものになるだろう。日本の産業がそれを成し得ることを信じている者は、日本中で私だけだ
- もし日本人が私のアドバイスに従えば、5年で世界中のマーケットを奪ってしまうだろう
実際に日本はそれを 5 年どころか 4 年で成し得てしまいました。そして「それみたことか、私が予言した通りだったろう?」とデミング博士は言ったそうです。
なぜ当時の日本は 4 年という短期間のうちに高い品質を獲得することができたのでしょうか。僕は当時の日本が所謂「デミング博士の 14 のポイント」にすでに当てはまっていたか、それとも一生懸命当てはめようと努力したのか、そのどちらかだと思っています。
デミング博士の 14 のポイント
- 競争力を保つため、製品やサービスの向上を常に心がける環境を作る。最高経営者がその責任者を決める。
- 新しい哲学を採用する。我々は新たな経済時代にいる。遅延、間違い、材料の欠陥、作業の欠陥などの一般常識となっている水準には満足できない。
- 全品検査への依存を止める。品質は統計的手法で向上させる(完成後に欠陥を見つけるのではなく、欠陥を防止せよ)。
- 価格だけに基づいて業者を選定することを止める。価格と品質によって選定する。統計的手法に基づく品質保証のできない業者は排除していく。
- 問題を見逃さない。全体(設計、受け入れ材料、製造、保守、改良、トレーニング、監視、再教育)を継続的に向上させるのがマネジメントの役割である。
- 職場教育(OJTなど)の手法を導入し、義務付ける。
- 職場のリーダーは単に数値ではなく品質で評価せよ。それによって自動的に生産性も向上する。マネジメントは、職場のリーダーから様々な障害(固有の欠陥、保守不足の機械、貧弱なツール、あいまいな作業定義など)について報告を受けたら、迅速に対応できるよう準備しておかなければならない。
- 社員全員が会社のために効果的に作業できるよう、不安を取り除く。
- 部門間の障壁を取り除く。研究、設計、販売、製造の各部門の人々は様々な問題に一丸となって対応しなければならない。
- 数値目標を排除する。新たな手法も提供せずに生産性の向上だけをノルマとしない。
- 数値割り当てを規定する作業標準を作業者やマネジメントから排除する。
- 時間給作業員から技量のプライドを奪わない。とりわけ年次・長所によって評価することや目標による管理は廃止する。
- 強健な教育プログラムを実施する。
- 全員で変革に取り組む。最高経営陣の中で、上記13ポイントを徹底させる構造を構築する。
どうでしょうか。今の日本製品の品質に問題が生じている理由は、今の日本の企業が「デミング博士の 14 のポイント」に当てはまらなくなってきているからではないか、と僕には思えるのです。
今でも日本の企業は第 1 項目だけはなんとか良く保っているように思えます。しかし第 2 項目から最後の第 14 項目はすでに崩壊しているように見えます。具体的には、
- 前例主義、内向き、事なかれ主義に陥っている。高齢化(老害)による新しい方法(変革)に対する抵抗(第 2 項目)
- セクショナリズム(サイロ)が進み、検査は検査部門が行う最終検査に任せている。他部門の問題には関与しない。全体を管理できるマネジメントが存在しない。他部門への無関心(第 3、5、9、14 項目)
- 納入価格だけで(安さだけで)納入業者を決めている(第 4 項目)
- コスト削減が優先され職場教育がなされていない。外注の増加。派遣労働者の増加。(第 6、13 項目)
- 品質目標ではなく、個人目標(個人攻撃)がはびこる。プロセスやツールを改善するのではなく、個人努力にすりかえる。企業のブラック化。実現不可能なノルマや残業を与える(第 7、10、11 項目)
- 長期雇用制度の崩壊、派遣切りなどがはびこる。(第 8 項目)
- 正社員と派遣労働者の差別。年功序列による歪んだ評価基準(第 12 項目)
これでは品質に問題が出てくるのは仕方がないでしょう。もしデミング博士がまだ生きていて、今の日本を見たら、きっと昔のような予言はできないはずです。
再び欧米に学ぶ時期がやってきた
日本は長らく終身雇用制度に基づく家族的経営が中心でした。それが強みとなって「デミング博士の 14 のポイント」を満たすことができ、結果的に高品質な日本製品を生み出したのではないかと僕は思います(日本的経営の特殊性が強みとなった)。
ところが今は従業員よりも株主利益を優先し、長期利益よりも短期利益を追求する時代となりました。またコスト削減のために正社員よりも派遣社員を増やしています。品質面から見て強みとなっていたかつての家族的経営の面影は、今ではかなり薄くなってしまいました。
でも悲観する必要はないでしょう。これは特殊だった日本の経営や雇用体系が、単に欧米のものに近くなってきているだけです。
日本企業のような特殊性がない欧米企業でも製品の品質を上げ、今では日本の品質を追い抜くところまできたのです。逆に(経営や雇用体系が欧米化している)日本は、欧米が使っているような品質管理方法を取り入れれば良いだけではないでしょうか。勤勉な日本人なら簡単なはずです。
変革はマネジメント次第
長らく日本の品質管理は QC サークル活動に代表されるようにボトム・アップ方式が中心でした。家族的経営ならそれも良かったでしょう。しかし企業が欧米化し人材が流動化してしまってはボトム・アップ方式は上手く働きません。
これからの時代、品質を高めるにはトップ・ダウン方式によるシステム(プロセス)作りがますます重要になるでしょう。それには大きな変革を伴いますが、問題はトップ層がその変革に本気で取り組み、ミドル層がその新しい方式を積極的に導入できるかどうかにかかっています。
しかしちょっと残念なことに、企業の高年齢化、前例のない新しいモノへの抵抗(既存路線の踏襲)、定年までの逃げきり待ち、など日本企業は変革への障害がかなり大きいようです(特にミドル層)。
日本企業でも遅れてリーンシックスシグマが脚光を浴びるか?
では「デミング博士の 14 のポイント」に当てはまらなかった当時の欧米企業(特に米国企業)はどこに向かったのでしょうか。僕は「シックスシグマ」だと思っています。「デミング博士の 14 のポイントに代わって米国企業にも実践できる品質管理のフレームワークが必要になり、結果としてシックスシグマが生まれた」と考えると、とてもしっくりします。
そして欧米企業が使いやすいようにさらにシックスシグマが改良され、リーンシックスシグマや DFSS などが生まれたのだとしたら、今こそ日本はリーンシックスシグマを見直す時期にきているのではないかと思います。
欧米化している日本だからこそリーンシックスシグマが必要なわけで、もしかしたらこれから日本でもリーンシックスシグマのブームが遅れてやって来るかもしれません。僕はそれを心より期待しています。