エッセイ: 狩野モデルでみるフレームワークの違い

前回の投稿で狩野モデルについて書きましたが、書いている途中に、もしかしたら狩野モデルでリーンとシックスシグマ、そして DFSS の違いが説明できるのではないかと思いました。そこで今回の投稿では、それについて書いてみたいと思います。

リーンとシックスシグマ、そして DFSS の違いを説明するとき、僕はよく例え話を使います。例えば、

  • もし今あなたが何か運動ができるほど健康なら、その健康をさらに向上させるために、毎日の運動を欠かさず、運動の量を少しずつ増やし、無駄な食事を減らして体重や体のコンディションをコントロールするはずです。また体を一つのシステムとして考えるあなたは、漢方医薬などを使って、体のバランスを考えた健康維持に努めるはずです。それがリーンのプロジェクトの考え方です。
  • もしあなたがジョギングなど運動の途中で膝を痛めたり、転んで怪我をして出血などがあった場合、急いで病院にいくはずです。そしてすぐに出血を止めたり緊急治療を受けるために西洋医療を施すはずです。それがシックスシグマのプロジェクトの考え方です。
  • 健康を向上させるために毎日おなじ運動をしていても進歩がありません。しかし何か新しいことを始める時には必ずリスクが伴います。そのリスクを少しでも減らすためには調査が必要です。例えばクロスカントリー・スキーを始める前に、良いインストラクターから道具の選び方や無理のない滑り方を学ぶようなことです。そのようにしてあなたはリスクを減らしながら新しい成長へ挑戦します。それが DFSS のプロジェクトの考え方です。

こんな例え話もします。

  • ジョーカーがゴッサムシティをぶち壊してから、バットマンが来ます。バットマンはジョーカをやっつけて、ゴッサムシティーの平安を取り戻します。シックスシグマのブラックベルトはバットマンのようなものです。バットマンはスパーヒーローですが、なぜジョーカーがゴッサムシティをぶち壊す前に、それを防いでくれないのでしょうか。
  • ゴッサムシティーでは警察や学校の先生、市や公共施設の方々が日頃まじめに働いて、街をより良いものにしようと努めています。またジョーカーなどの犯罪者が生まれないように防犯にも努めています。リーンのマネジャーやチームはまるでゴッサムシティーの影の功労者のようです。
  • ゴッサムシティーをさらに発展させるためには、公共投資をして新しい橋や建物を造り、インフラストラクチャーを整える必要があります。DFSS のブラックベルトはまるで新しい公共開発プロジェクトを進めるゴッサムシティーの市長や市議会議員のようなものです。もちろんジョーカーなどから施設を守るためのリスク管理も怠っていません。

実際、社内でもシックスシグマのブラックベルトの方が注目を集めることが多いのです。シックスシグマの場合、問題が起こってから対処を始めるので、問題を金額に換算することも簡単ですし、問題を解決したらスーパーヒーロー気取りもできます。一方リーンや DFSS は問題を未然に防いでいるので、その貢献度を金額に表すことが難しいし、また良い街であって当然と思われては、ヒーロー気取りもできません。

Kano Model Lean Six Sigma

しかし社内ではなく、顧客の目(またはゴッサムシティーの善良で賢い市民の目)から見ると、少し違うのではないでしょうか。狩野モデルを使えばリーン、シックスシグマ、DFSS の違いを顧客の目から説明できます。

シックスシグマが社内の問題を解決しても、それは当り前(基本品質)であって、顧客はそれでは満足しません。

一方リーンが製品や商品の品質を向上させ、値段(コスト)を下げ、サービスを向上させてくれれば、顧客の満足度はそれに比例して(一元的に)高くなります。

さて DFSS はどうでしょうか。もし DFSS が魅力的な新しい製品や商品、またはサービスを開発し、顧客に届けてくれたら、顧客の満足感はそれだけで高まります。しかし狩野モデルの変換表で示したように、その新しい製品や商品、またはサービスは別に無くても構わないものです。

ゴッサムシティーでもバットマンの働きを称える何も知らない市民がたくさんいますが、もし警察や公共サービスの影の働きや、議員の将来に向けた努力を知っていれば、何が本当に市民にとっての利益となるのかが分かると思います。

別にリーン、シックスシグマ、DFSS のどれが一番良くてどれが一番悪いのかを言っているわけではなく、つまり状況に応じてすべてが必要だと言いたいのです。